静岡・清水観光案内

静岡市

登呂遺跡 久能山東照宮
芹沢[金圭]介美術館 静岡市立日本平動物園
駿府城跡 静岡浅間神社
静岡市文化財資料館 賎機山公園
臨済寺 洞慶院
吐月峰柴屋寺

清水市

清水港 三保ノ松原
御穂神社 三保文化ランド
人体科学博物館 海洋科学博物館
自然史博物館 清見寺
海潮寺 梅陰寺
次郎長生家 鉄舟(てっしゅう)寺
龍華(りゅうげ)寺 日本平
草薙神社

名産・みやげ

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静岡市

静岡市中心部には駿河総社として厚く崇敬される壮麗な静岡浅間神社があり、近郊に登呂遺跡日本平動物園丸子ノ宿などがある。

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登呂遺跡

静岡市南郊の大規模な弥生式住居遺跡。昭和18年工場建設のために水田を掘り起こして偶然に発見。昭和22〜25年にかけて4年間にわたる発掘調査が行われ、大規模な弥生式遺構であることが確認された。

水田跡は世界最古。出土品にはクワ、スキ、田下駄など多数の木製品とともに、釣り針、モリ、玉類、装身具、獣や鶏の骨、穀類、果物におよび1700〜1800年以前の古代人の生活がしのばれる。

総面積は33万平方メートルに達するが、いまは数棟の竪穴式住居と高床式穀物庫を復元し、樹木を移植し、遺跡公園としている。一隅に出土品、記録写真を保存展示、併せて農耕文化の移り変わりをテーマとした「登呂博物館」がある。

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久能山東照宮

久能山上に建つ壮麗な徳川家康霊廟。江戸時代初期建造の権現造り本殿は青銅の屋根に総漆塗り、随所に彫刻、彩色をほどこし、飾り金具を打ってきらきらしく華麗。

もとは飛鳥時代創建の久能寺があり、禅坊三百余棟を数えたと、と伝えられている。永禄12年(1596)、武田信玄が寺を村松に移して築城した。元和2年(1616)徳川家康は駿府に没し、遺命で城を廃して廟墓を営んだ。

二代将軍秀忠は廟所に社殿造営の工をおこし、元和3年に完成したのが現在の東照宮。同年家康の遺骨は日光へ改葬されたが、久能山東照宮はその後も徳川氏祖廟として尊ばれた。本殿をはじめ建造物11件が国の重文。秀忠奉納の国宝太刀をはじめ、重文太刀11、重文短刀2、重文具足3を中心に約400点の社宝は久能山東照宮博物館に展示されている。日本平からロープウェイでも行けるが、表参道は南の海辺、ね小屋6折1159段の見事な石段を上る。

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芹沢[金圭]介美術館

韓国産の紅雲石で建てられたユニークな染色美術館。敷地は3779平方メートルで、登呂遺跡の一隅にあり、展示品は静岡市出身の芹沢[金圭]介氏の代表的作品群と芹沢コレクション。氏の作品は染色の美を質の高い芸術品にまで高めたことで名高い。




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静岡市立日本平動物園

有度山の西北麓、日本平パークウェイ静岡側入り口に総面積11万平方メートル、動物・鳥類約200種を飼育展示する規模の大きい動物園で、桜の名所。リフトで結ばれた丘の上にはヨーロッパの古城を模した爬虫類館があり、この屋上からは駿河湾から静岡市外が一望。晴れた日は富士山も見える。

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駿府城跡

静岡市の中心に石垣と堀を残す徳川氏の城。今川氏滅亡ののち駿府へ入った徳川家康が、天正13年(1585)から二カ年をついやして築城。駿河、遠江、伊豆、甲斐、信濃の五カ国を治めた。

家康はのちに江戸城に移り、ついに天下人となったが、将軍職を二代秀忠にゆずると再びこの城に戻り、ここで没した。明治4年城郭は全て解体され、いまは駿府公園として一部が開放されていて一角を静岡県庁が占めている。現在巽櫓の復元がされている。

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静岡浅間神社

静岡市街の北寄り、賎機山南麓に約4万5000平方メートルの境域を持ち、老樹の茂る山の斜面を背にして、浅間造りの華麗な社殿が偉容を誇る駿河の国の総社。

「せんげんさん」と親しまれているこの神社は富士浅間の女神・木花咲耶媛をまつる浅間神社と大己貴命をまつる神部神社、安倍の市の守護神で大歳神の母神に当たる大市比売命をまつる大歳御祖神社の三社からなり、拝殿は正面7間、側面4間、千鳥破風に高楼を設けた大建築。

拝殿奥の右側が浅間、左が神部、赤鳥居わきにあるのが大歳御祖の各社で、拝殿、社殿はいずれも朱塗りに極彩色の彫刻をほどこして華麗。16万両をついやして三代将軍家光が建立したという社殿は惜しくも焼失したが、文化元年(1804)から60年の歳月と8万5000両の巨費を投じた現社殿は18棟全て重文。

大歳御祖神社横の石段を登った賎機山中腹には、浅間神社の父神・大山祇をまつる麓山神社があり、荘重優美な拝殿三間社流造り本殿とも重文。

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静岡市文化財資料館

浅間神社境内。大歳御祖神社蔵重文長光の太刀、家康初陣の鎧、山田長政奉納軍船図写、浅間神社蔵三十六歌仙懸額などとともに、賎機山古墳出土品、静岡特産の漆器などを展示。

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賎機山公園

浅間神社の背後に横たわる標高約150メートルの丘で、かつては賎ガ丘と呼ばれ、これが静岡の地名の語源。大歳御祖の社殿左側から長い石段を登り、麓山神社横を通って山頂へ、木立の深い遊歩道が通じている。静岡市街の好展望台で、春は桜の名所。登り25分、下り15分。

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臨済寺

賎機山山麓の臨済禅寺。今川氏菩提寺として今川氏親が建立。善徳院と呼ばれたが、天文5年(1536)ここに葬られた氏輝の法名臨済寺殿をとって寺号を臨済寺と改め、家督をついだ氏輝の弟・義元が京都妙心寺の大休禅師を招いて開山。

二代住職となったのが太原崇孚で、雪斎と号し、今川義元の相談役を務めた偉僧。人質として今川家に養われた少年時代の家康は、この人に師事して史書兵学を学んだと言う。

桃山時代から江戸中期にかけての作といわれる三段造りの庭園は指定名勝。多くの寺宝を伝えているが拝観できない。

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洞慶院

山号を久住山と号する曹洞禅寺で、静岡の西郊、藁科川をさかのぼった静かな岡の上の寺。広い境内は閑雅で、古木の梅林は東海屈指の名がある。7月19日〜20日の開山忌には郷土玩具の珍品「おかんじゃけ」を売る店が出てにぎわう。

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吐月峰柴屋寺(とげっぽうさいおくじ)

吐月峰とかいて「はいふき」とよませたほど、江戸時代には柴屋寺住職手すさびの竹細工に人気があった。街道からわずかに北に入った風雅の寺。永正元年(1504)今川氏を開基とし連歌師の祖・宗祇の法嗣宗長が開山、竹細工の寺、月見の寺として風流人に愛された。

本堂はなく深い孟宗竹の竹林や木立に囲まれて雅趣に富む書院と茶室、書院に面して宗長作と伝わる名勝指定の池泉庭園がめぐっているだけ。銀閣寺庭園を模したというこの庭は山方の小山を借景にして幽寂の趣があり、月見石は宗長法師が腰掛けて月の出を待ったもの。いまも住職は寺の孟宗竹を材料に、宗長以来伝統となった竹細工を作っており、思い出深いみやげとして愛され続けている。

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清水市

東海道五十三次・江尻の宿が現在の清水。幕末には清水次郎長と呼ばれた侠客・山本長五郎が活躍した港町である。

「春風や三保の松原清見寺」と鬼貫の句にもある興津の清見寺や清水の鉄舟寺竜華寺など歴史の香りも高く、景勝三保の松原羽衣伝説日本平に日本武尊伝説を伝えている。

三保文化ランド海洋科学博物館などの見所も多く、石垣イチゴ狩り、観光地引き網、海水浴、港めぐり遊覧船と楽しみも多い。

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清水港

三保の岬を天然の防波堤とした良港で、平安時代以来避難港として用いられ、室町時代には今川水軍が詰所、船蔵を置いた。

大阪ノ陣に清水の人々は上方への物資輸送に協力し、徳川幕府から42軒の回船問屋免許と駿河湾の取締権を与えられたのが発展の基盤となり、江戸時代を通じて千石船の出入りでにぎわった。明治32年開港場の指定を受け輸出入の大船が出入りして今日に至っている。わが国有数の貿易港として名高く、富士の見える港風景は美しい。

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三保ノ松原

駒越から東北へ約五キロ、長く突出する砂嘴が内側に清水港を抱き、駿河湾に面して長大な白砂青松の浜がある。歌枕として名高い三保ノ松原がこの浜で、桃太郎、浦島太郎、とならぶ日本三代伝説の一つ羽衣の伝承の地。

天女が羽衣を掛けたという伝説の羽衣の松は柵に囲まれて松林に残っているが、何代目かにあたるようだ。富士のよく見える美しい浜は詩的。

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御穂神社

航海神・漁業神として漁民の信仰が厚い小社。祭神は大己貴命と三保津姫命で、主神は出雲の神である。

宝物館に重文の太刀をはじめ古神宝、天女の羽衣のきれはしといわれる布片などが納められている。羽衣の布片は西域伝来の貴重な逸品といわれる。海に向かってのびる一直線の参道松並木がみごと。

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三保文化ランド

三保ノ松原の一角、世界二十余カ国の都市やクレムリン、ホワイトハウスなどを1/25から1/100の精密なミニチュアで再現したミニチュアランドと、実際の地形まで再現した宿場や名城のミニチュアがある日本庭園「東海道五十三次園」からなるリクレーション施設。夏には5つのプールがオープンする。

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人体科学博物館

博物館そのものが人体内部になっており、口から入ってエスカレーターの長い気管支を通り、肺や腹中を通っていく。胎内を通り抜けるうちに人体の仕組みがわかるしかけ。 体力を自動的にはかる体力測定コーナーやビデオライブラリーがある。三保文化ランドと人体科学博物館等は「三保文化ランド」と呼ばれる東海大学三保社会教育センターの施設で、三保半島の先端、12万平方メートルに散在している。

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海洋科学博物館

大水族館を中心にした幅広い海洋科学の殿堂。カラー円柱水槽12、容量600トン総ガラス張りの海洋水槽、31個の置水槽に魚族350種、約2万尾を展示。12個の置水槽にはカラフルな磯の生物、そして展示館に巨大なシロナガスクジラの骨格をはじめ豊富な標本と船の模型がある。珍しいのは機械水族館で多数の機械生物が動き回っている。一種のロボットで、未来の海洋開発への夢をはらんでいる。三保文化ランドと海洋科学博物館等は「三保文化ランド」と呼ばれる東海大学三保社会教育センターの施設で、三保半島の先端、12万平方メートルに散在している。

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自然史博物館

恐竜はどうして生まれ、なぜ絶滅したか ------- 26種の恐竜を展示して、その歴史を解説。三保文化ランドと自然史博物館等は「三保文化ランド」と呼ばれる東海大学三保社会教育センターの施設で、三保半島の先端、12万平方メートルに散在している。

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清見寺

興津にある古寺。宗良親王御集に「東路の末まで行かぬ庵崎の清見が関も秋風ぞ吹く」と詠まれた清見ガ関鎮護の寺として天武天皇(673〜686)のころ創建されたと伝えられ、弘長2年(1262)関聖禅師の再興。

東海道屈指の名刹として知られ、境内からの眺望は雄大清麓。梵鐘は鎌倉時代の作、徳川家康が愛したという池泉庭園は国の指定名勝。境内横手から裏山の斜面にかけて江戸時代後期の五百羅漢石像がある。

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海潮寺

清水市郊外、杉山にある臨済寺の静かな寺。山村のすがすがしい環境で住職ご自身が包丁をとる精進料理、5〜9月には流しうどんがいただける。小さな石庭が美しく宿泊参籠も可。料理は全て予約。

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梅陰寺

街道一の大親分と言われた侠客・清水次郎長の墓がある寺。次郎長は本名を山本長五郎といい、いろいろのエピソードでおなじみだが、後半生は清水港修築や富士の裾野の開墾などに励み、明治26年74歳で没、梅陰寺へ葬られた。

山門を入った右手、青い自然石に「侠客次郎長之墓」と記された墓碑銘は、時の海軍大臣榎本式揚の筆。大政、小政、女房のお蝶の墓も並び、境内の次郎長記念館には清水一家の遺品を収集、展示している。

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次郎長生家

侠客・清水次郎長の生家。梅陰寺から約300メートルの次郎長商店街の中央に位置する。現在はみやげ物店として営業しており、記念品等を見ることもできる。

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鉄舟(てっしゅう)寺

有度山北麓の清雅な臨済禅寺。もと久能山上にあった久能寺の後身で、明治維新後廃寺となったが、飛鳥時代に久能忠仁の創建、行基再興と伝わる由緒を惜しみ、旧幕臣山岡鉄舟が再建に着手した。鉄舟が中途で没すると、清水の魚商芝野栄七が遺志をついで明治43年ようやく落慶、寺名を鉄舟寺とあらためた。

藤原時代の荘厳経で厳島平家納経、武蔵慈光寺経と並ぶ日本三経の一つ・国宝久能寺経19巻、重文錫杖、行基作と伝えられる千手観音をはじめ薬師三尊など古仏16体を伝えるが非公開。

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龍華(りゅうげ)寺

寛文10年(1670)日近上人の開基。鉄舟寺と並んで有度山北麓の山裾にあり、富士山の大観が見事なため富士見寺の名がある。門を入ると豪壮な池泉の庭、その上方に棟の高い茅葺きの大本堂と江戸期築造の池泉観賞式庭園「観富園」、樹齢1100年と推定される二株の大蘇鉄(天然記念物)がある。

本堂背後の高みには、当寺を愛し、遺言でここに葬られた文豪高山樗牛の墓があって、清水港越しに見る富士山の大観がみごと。

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日本平

静岡の東から清水の南につらなる連岡を有度山、あるいは久能山と呼び、頂上付近北面一帯が日本平と呼ばれる。古代、東征の日本武尊が賊のはなった野火に囲まれ、危ういところを腰の霊剣をぬいて草を薙ぎ払い、向かい火を放ってかえって賊を焼き滅ぼされた。賊徒平定の後に登り立って国見をされた岡がここだ、という伝説から日本平の名がある。

草薙の故地は日本平の北麓にあり、連岡を縫って日本平スカイラインが走っている。山頂は富士展望の名所。眼下に清水の港から三保の岬、その向こうに秀麗な富士山、箱根、伊豆が一望に眺められる。

山上にレストラン、売店、ホテルがあり、久能山東照宮へロープウェイがかかっている。

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草薙神社

日本武尊の草薙伝説を伝える古社で延喜式神名帳にもしるされ、有度郡の官社であった。草薙の集落の奥、いまは小さな社一つが古跡を伝えている。このとき草を薙ぎはらった剣は尊の祖母に当たる伊勢の斎主・倭姫命から賜った天叢雲剣(八岐大蛇の尾から出た剣)とされ、草薙の伝承から草薙の剣と呼ばれて三種の神器になった。

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名産・みやげ

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